田代元湯探索記後編

前編はこちら

 

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温泉に入るため、無謀にも冬の八甲田へと突っ込んだ私はついに「対岸」へと辿り着いた。

目次

 

やまだ館

ただ下流へと流されただけの私であったが、 それは全く無意味なことではなかった。この「対岸」の上流部は断崖絶壁となっていたが、下流に行くにつれて崖の高さが低くなっていた。すなわち、上陸しやすくなっているということである。

雪の層が高さを水増ししているが、地面と川底の高低差は3m程度。川の中にある岩の上に乗れば2m以下に抑えられる。一度諦めかけた田代元湯に再度チャレンジするチャンスが偶然にも転がり込んできたのだ。

 

雪の層にある程度の固さがあることを確かめ、右足をかける。全体重を右足に移し、左足を踏み出す。

3月27日正午、上陸。

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足跡



やまだ館の廃墟へと近づく。

廃屋の周りはすり鉢状になっている。廃屋の屋根に雪が積もるため、その周りには雪が少ないからである。傾斜がきついので、気をつけてゆっくりとすり鉢の底へと降りる。

廃屋は半壊しており、床は雪に覆われていた。壁には掃除用具が壁にかかっていたので湯船があったのだろうと予想されたが、雪をかいても湯は出てこなかった。

事前に調べてあった木製の湯船はどこなのか。岩風呂はどこにあるのか。

20分くらい歩き回ったが、見つけることはできない。だが、冷たい水で濡れた体は消耗するばかりであった。なんたってパンツ一丁なのだから。温泉が見つからないからには村松伍長のように温泉を飲んで生き延びる事すら出来ないのだ。

 真昼間だというのに、春の光が降り注いでいるというのに、私の体は今までにないくらい震え始めた。長靴を脱ぎ、日向に身体を置く。しかし、ちっとも身体は暖かくならない。

頭の中に低体温症や凍傷という単語が浮かび始めた。生きて帰れないかもしれない。川を泳ぐ時に感じた死の恐怖が帰ってきたのである。

もう温泉なんかどうでもいい。温泉大嫌い不衛生人間でもいい。とにかく帰らねば。だんだん衰弱してゆく自分の身体に焦りを感じ始めた。

彼岸

河原へと帰りたい。だが、帰ろうにも帰れない事情があった。 

先ほど説明したように、今いる岸は上流に行くにつれて崖が高くなっている。また、河原より下流は急流となっており、溺れる可能性が高い。すなわち、上流の崖から飛び降りなければ河原には帰れないのだ。ここで「川沿いに歩いて行けばどこか橋のある場所があるのではないか」と思われる方もいるかもしれない。確かに数キロ歩いて行けば橋もあるだろう。だが、今の私はパンツ一丁である。道路を歩けば間違いなく警察に通報されるだろう。それならば崖を飛び降りる方がマシである。

目の前を流れる駒込川が此岸(現世)と彼岸(あの世)を分ける三途の川であるかのように思われた。今いる岸は彼岸であり、河原のある岸は此岸である。死者は現世に帰ることはできないのだろうか。

絶望した私は崖の上に座り込んだ。わずか10mの川幅がここまで絶望を生むとは。頭の中にイムジン川のメロディーが流れ始めた。イムジン川は国を2つに引き裂いたが、鳥たちは自由に川を渡ることができる。なぜ人間は自由に川を渡れないのだろう。

良いニュースと悪いニュース

一番降りられそうな場所はあの「出っ張り岩」の真上にある崖だった。高低差は2~3mほどで済む。しかし、崖の下が斜面になっているので安全に降りられるかはわからない。降りる覚悟が決まらなかった私は崖の縁に座り、高低差を小さくするために雪の層を崖の下へ落とし始めた。10cmでも20cmでも高低差は小さいほうがいい。

その時だった。私の体は宙へと滑り出し、斜面を滑り降り、冷たい川の中に投げ出されていた。あっ、という暇もなかった。夢中で出っ張り岩にしがみつき、岸へとたどり着いた。そして、小規模な雪崩が起こったことを理解した。

ここで良いニュースと悪いニュースがある。良いニュースの方から書くことにしよう。

 良いニュースとは崖から安全に川に入れることがわかったということである。これで崖から飛び降りて骨折し、そのまま溺れるといった最悪のケースを避けられる。

悪いニュースはiPhoneが手元になかったことである。崖の上に置き忘れたのだろうか。現代人の第2の心臓でもあるスマートフォンを失うわけにはいかない。私はiPhoneを探す為川に入り、もう一度先ほどと同じ行程を辿った。

だが...崖の上にiPhoneはなかった。iPhoneは雪崩に巻き込まれていたのである。

体力の限界

私は迷うことなく崖から飛び降りた。「良いニュース」のおかげで大して覚悟は要らなかった。ズリリと斜面を滑り降り、入水する。そして、出っ張り岩に再度上陸した。

iPhoneが雪崩に巻き込まれていたならば考えられる場所は一つである。川の中だ。長靴の中の水をかき出し、体勢を万全に整えて川へと入った。

だが、冷たい水の流れに阻まれ思うように体を動かせない。しかも、水深は2m近いため、川底を探すことは困難である。既に体力の限界は近づいていた。iPhoneには代えがあるが、人間の命に代えはない。捜索は打ち切られた。

iPhone駒込川の餌食となってしまった。しかし、私にとってはiPhoneはもうどうでも良かった。生きて帰れればいいのだから。

身体の衰弱は激しかった。私は出っ張り岩の上で20~30分くらい震えていた。寒い時に身体が震えるのは筋肉を収縮させて熱を生み、体温を保つためである。体温が維持できなくなった時、人間は低体温症になる。そして死に至ることもある。

しかし、ここから救助を要請することは不可能である。助けてと叫んだところで誰も聞こえない。私が死にかかっていようが誰も助けに来ないのだ。絶望は更に深くなった。

温泉に入るために死ぬなど物笑いの種になってしまうだろう。ここで死ぬわけにはいかない。川を渡り切れば食料もあれば防寒具もある。川を渡るしかないのだ。

三途の川

やみくもに川を渡ろうとしてもいけない。迂闊に流されると下流の急流に巻き込まれる。計画を練らねばiPhone同様川の餌食となるだろう。

出っ張り岩から上流方向に飛び込み、流されながらも浅瀬で足をつけて体勢を立て直し、河原にギリギリ到達するという作戦を立てた。そして覚悟を決め、出っ張り岩の上に立った。体の震えは収まりつつあった。

時は来た。最後の力を振り絞り、川へと飛び込む。そして、夢中で手足をバタつかせる。覚悟が決まっているからだろうか、不思議と泳げるものだ。

浅瀬で足がついたかと思いきや猛烈な水の速さに足が持って行かれてしまった。再び足をバタつかせ、此岸を目指す。

何かが手にぶつかった。岩だ。河原に着いたのだ。14時09分、「此岸」へと帰還した。

バスタオルで体を拭き、服を着ておにぎりを食べる。やった。現世に帰ってきたのだ。

川の向こうに見える「彼岸」はとてつもなく遠く感じられた。

此岸

生の実感とともに現実が戻ってきた。iPhone無き今、どうやって連絡を取るのか。iPhoneに記録してあった帰りのバスの時間はいつなのか。多くの問題が降ってくる。だが、そんな問題も本当に些細なことのように思われた。

そして、持ってきていた一眼で写真を撮りながら深沢温泉へと足を進め始めた。

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階段

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元道路


文明のある場所へと帰ってきた。

もう一度深沢温泉に入り、体を流す。完璧な湯船が自分を迎えてくれる。冷えた体が底から温まる。やっぱり最高じゃないか。田代元湯に入らずとも素晴らしい温泉に入れたのだからもう目的を達成したのと同じである。

田代元湯はオススメしないが、深沢温泉はオススメできる素晴らしい温泉なので八甲田を訪れる際は是非訪問して欲しい。

www.aptinet.jp

能動的ヒッチハイク

温泉で体を癒した後はヒッチハイクの時間である。というのも歩いていては最終バスの時間に間に合わないからだ。受動的ヒッチハイクのおかげでヒッチハイクをすることに抵抗がなくなっていたという理由もあるが。

 

遠くから車が来る音がする。すかさず親指を立てる。1台目。全く止まる気配がない。そして、スーーーッと私の横を通り過ぎて行った。ヒッチハイクで最も屈辱的な瞬間である。

2台目。1台目同様全く止まる気配がない。と思ったら結構過ぎたところで2台目の車が止まった。ヒッチハイク成功である。

私を乗せてくれたのは青森出身のご夫婦だった。津軽訛りがすごいが意思疎通に問題はない。ご夫婦はこれから青森に帰るそうだ。ならばわざわざバスに乗る必要もない。新青森駅まで乗せてもらうことにした。

山を降りてゆくと道の両側に積もる雪が少なくなる。さらば八甲田。

1時間もしないうちに綺麗な駅舎の前で車が停まった。新青森駅である。ご夫婦にお礼を言い、車を降りた。

生きるとはどういうことか。私が生きていると最も実感するのは飯を食うときである。

私は「生還」を実感する為に夕ご飯で美味いものを食うと決めていた。そして、駅ナカの魚っ喰いの田 新青森駅店にてまぐろ丼を注文した。

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生の象徴(¥2800)

高い...大間のマグロは本当に高いのである。しかし、味は期待を裏切らなかった。

ふわっとした感触の刺身、ツンと香る山葵...そして醤油の染み込んだ白米。この完璧な味は東京では味わえないだろう。これこそが旅の醍醐味なのだ、とそれっぽいことを言ってしまう。

まぐろ丼を平らげると、青森を離れる時間が近づいていた。お土産を買い、新幹線に乗り込む。青森で起こったすべてが夢のことだったかのように思われた。

だが、いつもあるはずのiPhoneが手元に無いことだけが夢でないということを告げていた。

田代元湯探索記前編

2018年3月27日13時ごろ、私は遭難していた。これは決してオーバーな表現でもなんでもない。文字通りの遭難である。八甲田山麓の雪が積もった崖の上で、パンツ一丁になって寒さに体を震わせていた。なぜこうなったのか経緯を整理すると以下のようになる。

 

数年前のある日、私はTwitter上で「青森の秘湯・田代元湯に至る唯一の橋が落橋。到達はほぼ不可能に。」というニュースを目にした。これは私にとって絶望的な知らせであった。なぜならば駒込ダムの建設によって2018年には田代元湯はダムの底に沈む予定*1となっているからだ。かねてより行きたかった秘湯は永遠に失われてしまうのか。居ても立っても居られなくなった私は、「橋がなければゴム長靴で渡ればいいじゃない」というマリー=アントワネット*2並みに安直な考えとともに青森行きの計画を練り始めた。

 

目次

  • 八甲田へ
  • 八甲田雪中行軍遭難事件
  • 徒歩2時間
  • 年中無休 (?)の秘湯
  • 分岐点
  • 雪道
  • 温泉大好き民族
  • ルビコン
  • カナヅチの悲哀

 

 

八甲田へ

直前に残留農薬氏(http://mounungyeuk.hatenadiary.jp/about)をお誘い申し上げたが、にべもなく断られてしまったので一人で青森へと向かうこととなる。

3月27日午前8時。青森駅酸ヶ湯温泉行きのバスに乗り、一路八甲田へと向かう。バスが青森市街を離れて山の方に入るにつれ、雪はどんどん深くなる。予想以上に雪が積もっているので、雪中行軍になってしまわないだろうかと不安になってきた。その不安を煽り立てるかのように、短調の物悲しい曲と共にバスの音声ガイドが「八甲田の悲しい歴史」について話し始めた。

八甲田雪中行軍遭難事件

「八甲田の悲しい歴史」とはもちろん、八甲田雪中行軍遭難事件のことである。

八甲田雪中行軍遭難事件(はっこうだせっちゅうこうぐんそうなんじけん)は、1902年(明治35年)1月に日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が青森市街から八甲田山の田代新湯に向かう雪中行軍の途中で遭難した事件。訓練への参加者210名中199名が死亡(うち6名は救出後死亡)するという日本の冬季軍事訓練における最も多くの死傷者が発生した事故であるとともに、近代の登山史における世界最大級の山岳遭難事故である。

 (Wikipediaより)

この悲劇に見舞われた青森歩兵第5連隊の目的地は田代元湯の近くにある田代新湯であった。それゆえ、今回のルートは彼らのルートと重なる部分が多い。今回の目的地の田代元湯は最後の生存者であった村松伍長が温泉の湯を飲んで生き延びた場所であり、雪中行軍事件と縁の深い場所である。だが、これらの歴史の証人もダムの建設によって水面下に沈んでしまう。

徒歩2時間

 午前9時、八甲田ロープウェー山麓駅にてバスを降りる。さて、ここからが問題であった。この先は公共交通機関がないため、 私の計画では2時間歩くことになっていた。計画を作ったときの私はどうかしていたに違いない。

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徒歩2時間
歩くエイリアン

圧倒的車社会のド田舎では道路を歩いている人間などいない。いるとすれば、それはよそ者である。田舎の人間は外部の人間に接したことが殆ど無いのでよそ者はエイリアンか何かだと思いこんでいるらしい。実際に和歌山県内陸部出身の人から聞いた話なのだが、実家周辺では道を歩いている人がいると「人が歩いている!」といって村の話題になるそうだ。田舎的思考に基づけば「エイリアン襲来」であるのだから確かに大ニュースなのだが、都会の人間には理解できない話である。

受動的ヒッチハイク

さて、私はエイリアンである。 私を追い抜く車・すれ違う車の運転手が奇異の目を私に向けて来るので、恥ずかしいことこの上ない。何か悪い事をしている気分になる。謎の罪の意識を持ちながら歩き始めて10分くらい経った時、突然私の目の前で車が停まった。

「乗ってく?」「はい!」

受動的ヒッチハイクに成功した。私を乗せてくれたのは大阪出身の中年のご夫婦で、青森に旅行に来ている所だという。彼らは酸ヶ湯から十和田湖に行く途中で、幸運にもちょうど私と同じルートを通る予定であった。初めてのヒッチハイクで不安もあったが、奈良出身の私は彼らの関西弁に親しみを覚え、心から安心した。快晴の空の下、雪の積もった森を走り抜ける爽快な朝。文句なしの順調な滑り出しである。走ること20分。ご夫婦にお礼を言い、目的地周辺の深沢温泉で車を降りた。

年中無休 (?)の秘湯

 Googleマップでは深沢温泉から先も道があるはずなのだが、現実世界ではその先の道は見当たらない。いやな予感がするが、気にしないことにする。その代わりと言ってはなんだが、年中無休を謳う温泉が目の前にあるのでとりあえず入ってみることにした。

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年中無休 (?)

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深沢温泉外観

しかし、こんな山奥にあるのに年中無休とは信じがたい。看板も欠けているし、もう通年営業はやめてしまっているのではないかと疑いながら入り口を覗いた。灯油や木材が無秩序に置かれていて、まるで倉庫のようだ。恐る恐るドアを開けて中に入る。その奥には浴場入口と書かれたドアが。その中を覗くと...電気が点いていた。

年中無休を疑った私が悪かった。入浴料400円を女将さんに渡し、いざ浴場へ。

湯に含まれる鉄分で赤くなった床、ほのかに香る硫黄臭、ドボドボ湧き出す熱めのお湯。何をとっても完璧である。それだけではなく、ちゃんとした露天風呂もある。衛生状態の悪い野湯よりもこっちの方が良いに決まっている。

湯船に身を投げ出すと田代元湯のことなどどうでも良くなってきた。もう一回ヒッチハイクして酸ヶ湯温泉に入ってから帰ればいいのだ。だが、私の好奇心と執着心はこの素晴らしいアイデアを許さなかった。

分岐点

先程深沢温泉から先の道が見当たらないと書いたが、もう一つ見当たらない道があった。車の中から国道 40号線を離れて田代元湯方面に向かう道路(下図参照)の分岐点を探していたのだが、見落としてしまったようである。

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分岐点は何処

そこの分岐点が見つかれば深沢温泉から先の道がわからなくても田代元湯へ行くことができる。そう信じて私は歩いて分岐点を探しに行った。

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分岐点を探して



そこで見たものは絶望的な光景であった。分岐点は雪の壁に埋もれていた。見落としてしまったのも無理はない。

除雪していないのだ。除雪する必要がないからである。とぼとぼと深沢温泉へと戻る他なかった。

雪道

 深沢温泉からの先の道は案外すぐに見つかった。分岐点同様、雪に埋もれていたのである。分岐点と違うところは雪の壁ではなく、雪の坂道となっているところである。

よく見ると、その坂道の上に獣の足跡が見えた。人間にも歩けない道ではなかろう。

沢を渡渉するためにワークマンで購入していたゴム長靴 (2000円)を装着し、雪で埋まった道へと入っていった。

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新雪なのだろうか、ズボズボはまるものの長靴が機能していて快適に進むことができる。 道なりに20分ほど歩くと、雪が溶けている場所が見えた。

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階段

階段だ。途中から雪に埋もれていたものの、十分機能している。その階段を降りた先には一面の雪原が広がっていた。

 何本もの筋が下の方へと伸びている。ここはスキールートであった。

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キールートを横断し、林の中を進む。

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しばらくすると水の音が聞こえてきた。田代元湯はすぐそこにある。

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対岸

対岸にはかつて田代元湯にあった宿、「やまだ館」の廃墟が向かいに見える。橋がない現在、あちらに到達することはほぼ不可能とされている。ここからが本当の闘いだ。

温泉大好き民族

日本人は温泉が大好きな民族だと言われている。環太平洋造山帯に属する日本は火山が多く、良質な温泉に恵まれてきたからである。また、『テルマエ・ロマエ』で知られるようにローマ人も温泉好きであったと言われている。 イタリアも日本同様火山が多く、温泉が多数湧き出ている。だが、日本人もローマ人も温泉に入るために命をかける事ができるだろうか?私は温泉大好き民族の端くれとして、ルビコン川を渡ることに決めた。賽は投げられた。

ルビコン

少し上流に行くと広い河原があった。荷物を河原に下ろし、ズボンと靴下を脱いで水深を確かめる。

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深い。腰では済まない深さだ。下手すれば流されてしまうだろう。普通に渡れそうな場所はないかと探してみたが見当たらない。泳ぐしかないのである。

上流側の対岸は崖、こちら側の岸は河原より下流が崖となっている。また、河原より下流は急流になっていてとても渡れるものではない。

温泉に入るつもりが寒中水泳になってしまった。パンツ1丁になり、長靴を履いて、防水機能付きのiPhoneを口に咥える。覚悟は決まった。ルートは下図の通り。

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飛び石を渡り、川にせり出している木の枝をつかむ。そこから数メートル泳げば浅瀬で足がつき、対岸に到達できるという算段である。

計画は実行に移された。

飛び石を渡ると、モロに水の力を感じる。流れる水の力は想像以上に強い。 1mにも満たない津波であっても恐ろしい威力であるということが体でわかる。

そして木の枝を掴むべく、川の中へと飛び込んだ。深い。水深は 2m近くあると思われる。それだけではない。先程感じていた水の力が信じられないほどの強さで私を下流へと押しやる。

「アブッ!!ブブブッ!アッ!!!アアア!!!!!!!!!」

言葉にならないうめき声を上げながら水の流れに逆らおうとする。しかし、川は容赦をしない。もがきながら手足をばたつかせると、私の体はトドのようにごろんと浅瀬に乗っていた。対岸に着いたのだ。

カナヅチの悲哀

対岸に着いた。この事実は必ずしも田代元湯に着いたことを意味しない。

私が着いた場所は川の中に出っ張っている岩(以下「出っ張り岩」と呼ぶ)の上にあった。一方は崖、三方は川で囲まれている。田代元湯に到達するには崖を登らねばならなかった。当然ながら普通の人間に2.5mの垂直な崖を登れるはずがない。助走を付けることすらできない場所である。私は田代元湯に敗れた。完敗である。河原へと引き返すことにした。

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出っ張り岩 (河原より撮影)

そして、再びiPhoneを口に咥え、川へと入った。

川は深かった。また、速かった。私の体を持っていくには十分な速さであった。

私はパニックになっていた。いくら泳いでも体が沈んでゆく。この川においては私はカナヅチである。溺れていたわけではないが、泳げる状態ではない。

この真っ白になった頭を救ったのは身体であった。なんと、足が川底に付いたのだ。

だが、驚いて周囲を見渡すと10mばかり下流に流されただけに過ぎないことがわかった。

*1:間もなく本体建設工事の発注がなされる予定である。barrage journal(駒込ダム建設所新聞) 第126号 - 青森県庁ホームページ

*2:「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」という言葉はマリー=アントワネットが言ったものとされているが、実際に彼女がそのように言った証拠はない。

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